ドイツ親子留学で、ベルリンに2015年に移住して、3年が経過、4年目になっています。
子供は、着々と進んで行きますね。問題なのは、親の方、親の価値観の変換であって・・
ベルリンで生活していて、どんなところに良さを感じるか?
ベルリナーとして、心地よい毎日
東京から来ていますので、東京の混雑、人口の多さ、密集感から比べると
ベルリンは、なんと混み合っていないのだろうと思いますし、
また、オーストラリアのケアンズから来ていますので、ケアンズの熱帯地方の灼熱感から
解放されて、なんとベルリンは涼しくて、過ごしやすいのだろう、
冬の寒さもなんと可愛らしいのだろうと思いますし、
私たちは、自分が経験したことを相対的に見て、とらえて、感じるものなのですね。
ベルリンに住んでいる人をベルリナーと呼びますが、ベルリナーになっているのかどうかは、
いざ知らず、しかし、毎日、心地よく過ごしていることは確かです。
ベルリンはベルリンだ!
週末に人が混み合っている様子を観察してみると、
ベルリンは、トルコのイスタンブールではないのか・・・と思ったりもします。
純粋なドイツ人は、半分くらいなのかな・・という感じもします。
聞こえてくる言葉も、ドイツ語ではないですね・・。
ドイツなのだけれど、ベルリンは、ドイツではなく、ベルリンだ・・・と皆さん表現されます。
西と東がまざった、ごちゃっと感、自分は自分、他人は他人よ・・という雰囲気。
スプーンでタッパーにいれてあるものを食べながら、横断歩道を渡る人・・・
バナナやリンゴの食べ歩きはあたりまえ。人参丸かじりもありますよ。
なにこれ????をいつも、フフッ・・って笑って観察しながら、毎日を過ごしています。
自分の価値観を重視するベルリナー
先日なども、駅のホームで息子と電車を待っていると、
ヒッピー系なのか、髪を長く伸ばして、結んでいる男性発見。ナザレのイエスなのか、もしくは、インディアン・チェロキー族のような風貌。
こういう方は、身なりにはお金をかけないけれど、ビーガンだったり、オーガニックのものしか食べなかったり、結構意識が高い系、こだわりや信念があるんだよね・・と息子と話したり・・。
どうします? ベルリンの地下鉄は、下着パンツ1枚で、ズボンやスカートなしで通勤する日もあるのです。え・・・それ、日本人感覚ではできないですよね・・。
湖で、裸族だったり・・とか、どう思われますか?
息子曰く、アジア人はそれ、やってはいけない・・・だって・・。なぜ、ドイツ人はできるのか?
焦らせないで、ちゃんと待ってくれるベルリナー
日本は、なぜか、人様に迷惑をかけてはいけない・・という
暗黙の了解があるのではないでしょうか。
いままで、東京で過ごして来て、道を歩くにしても、人に邪魔にならないようにとか、
後ろから歩いてくる人に迷惑にならないように、常に気を使わなければいけないとか、
スーパーなどで、小銭を出すにも、後ろに並んでいる人に迷惑にならないように、
さっさとするとか、また、後ろの人は、遅いと、チッ!と言ったりなどもして・・
なんか、おそろしいというか、ゆったりしていないというか、居心地が悪いな・・と
思う点が多々ありました。
そんな側面からみてみると、ベルリンでの生活は、上記のような点がまるでゼロなのです。
私などは、スーパーでの毎日の買い物で、じっくりと選びますので、たとえば、昨日など、
たかが、バナナ1本をじっくりと選んでいたら、その棚に用事があったスーパーの店員が、
長々と私がバナナを選んで、私がその場を去るのをまっていてくれたではありませんか・・・。
バナナ1本でも、家のストックを考えて、熟する日数を計算しながら選ぶので、
時間がかかるのです。
日本では、さっさとしろ! という感じで見られて、おわりのような・・・。
自分のペースや価値観を大切しして、活かすことができる雰囲気
たぶん、とても小さなことですが、こういうところが大事だと思うのです。
自分のその時の雰囲気、ペースで、ゆっくりしたいとき、じっくりとしたいとき・・・など
あると思うのです。
私などは、銀行関係、金銭関係では、ゆっくり動きたいタイプです。
意識があっちに飛びながら、銀行のカードやクレジットカードなどを出し入れしたくないからです。
あれ、あの時の記憶がない・・・なんて、金銭関係でいやですからね・・。
日本では、そんな時も、銀行のATMなどでも、焦らされてしまいませんか?
毎朝、出がけに、家の鍵を閉める時なども、鍵をしめたかどうかの意識が飛んでしまっている方も多いのではないでしょうか・・。
記憶にないとか、意識していないとか・・何かにふりまわされてしまっているのです。
ベルリンで3年間すごしていて、日本より、やること、やらなければいけないことは、
少ないですし、ごちゃごちゃしていないので、何かに振り回されている感覚はないです。
オーストラリアのケアンズも、ゆったりしていたので、なかったですけどね。
公園でまるで自宅のリビングのように寝っ転がる人々
ベルリナーは公園が大好きで、公園でよくピクニックをしています・・とは、良い表現で、
私がよく目撃しているのは、公園などで、まるで自宅のリビング状態で、リラックスしすぎで寝っ転がっている人々です。
暑いときなど、ビキニ姿で、公園で日光浴。湖がない、ただの公園で、ビキニ姿ですよ・・。
日本だったら、大変ですよね・・。それも、おひとりさまで・・。
息子とよく、なんか、自由すぎるよね・・・と話しています。
犬も一緒に寝っ転がっていて、羨ましいですよね。フンがあってもなくても、気にしない。
自分に関係のないことは、知らないとはっきり言う
ドイツ人全体の特徴として、知らないことは、はっきりと知らないと言います。
それが、親切ではない・・とも言えるし、はっきりしているとも言えるのです。
携帯電話の契約でも、同じ書類をもっていっても、できると言う人とできないと言う人もいました。
全体的にこんな雰囲気なので、人によって、言っていることが違い、日本人のように、共通認識というものがありません。
これがいいのか悪いのか・・・ですが、使い方によっては、いいものになりそうですね。
若いドイツ人に聞いたところ、ドイツの会社では、17時ごろの夕方になり、
自分の仕事が終われば、上司(ドイツ語では、シェフといいますが、料理人じゃないんですよ・・)
上司、シェフに、さよなら、チュース!と言って帰宅するのは、普通だそうで、
周りを気にする必要は無いと断言していました。
なんか・・いいですよね・・。
日本だと、このあたりは、場の空気を読んで、協力して・・・など、
まったく、ややこしい・・・感じがあるわけです。
そして、なぜか、迷路のような、空気を読む合戦がはじまり・・・など。
学校は、休みたければ、うまく自分でコントロール
息子を見ていると、学校なども、自分でうまくコントロールができるようです。
全部の科目ができないのは当たり前と言う感覚があるらしく、
数学とか物理が得意な生徒は、歴史や哲学の時間は、好きでないらしく、
ドロン!と消えるそうです。
息子もその様子をじっとみながら、学校生活のコツをつかんだらしく、うまくやっています。
結局、自分で選択して、自分なりに進めよ・・
という基調が流れていて、とても良いことだと思っています。
日本の集団主義とドイツベルリンに見られる個人主義
上記のように、私が感じるベルリンの心地よさというものを書いてみましたが、
これは、簡単にいうと、日本の集団主義とベルリンの個人主義と簡単に
まとめることができると思うのです。
細かい点では、いろいろあると思いますが、社会全体に流れる基調などが、
日本では、いつも集団優先主義であり、いつも周りに同調することが大切で、
一致協力するのがあたりまえであるという、雰囲気が流れています。
一方、ベルリンでは、まず、個人が大切で、個人主義であり、
自分は自分、他人は他人という基調が流れています。
ベルリンの人たちを見ている限り、良い意味においてでも悪い意味においてでも、
自分があり、自分を大事にしているな・・とよく感じます。
そして、日本の方たちは、なんか、みんな同じ価値観でいつも不安そうだな・・
と感じることもよくあります。
たぶん、自分の価値観より、社会に流れる価値観を優先してしまう習慣がついているので、
そうなるのかな・・と思って見ています。