オーストラリア親子留学で語学学校からはじめる方法

オーストラリア親子留学で、語学学校からはじめて、3か月の観光ビザでの滞在をしてから、ドイツ親子留学に移行していく方法もあります。

現在、NZにて、数ヶ月の親子留学をしてから、ドイツに来られている方もいらっしゃいます。

子供が小学校を卒業して中学くらいだと、短期間の英語圏での留学も有効的ではないかと見ております。

 

オーストラリア親子留学で、数か月の語学学校に通学する方法

 

英語もまだあまり慣れていない方、海外もまだ慣れていない方にとっては、いきなりドイツ親子留学からはじめるのは、大変だという声も聞いております。

そのような場合は、オーストラリア親子留学にて、観光ビザの90日以内で、語学学校に通学して慣らしておく方法も有効的です。

小学生の子供の場合は、公立校であれば、観光ビザでも、2週間から通学できると、2012年時点では聞いておりました。

私立の小学校でも、1日から通学できるところもあります。

まずは、英語圏で、英語を慣らしてから、ドイツ親子留学に移行していくのがよいでしょう。

観光ビザですので、家などは、コンドミニアムなどを利用して、気軽に滞在すると良いかと思います。また、ホームステイをする方法もあります。

オーストラリアでなくても、ニュージーランド、カナダも同様にできます、カナダの場合は、6か月の観光ビザ滞在ができますので、長く滞在できますね。

オーストラリアの都市は、北から、ケアンズ、ブリスベーン、ゴールドコースト、シドニー、キャンベラ、メルボルン、パースなどが大きな都市になります。

 

オーストラリア親子留学から、ドイツ親子留学へ移行しましょう!

 

オーストラリア親子留学で、英語を学んだら、ドイツ親子留学に移行していきましょう。

ドイツ人にとって、オーストラリアは、一番遠い国のようで、夢の国と言われています。同様に、ニュージーランドもそうなのです。

南半球の国から、寒い欧州のドイツへの移行になります。

本当は、南半球で長期間親子留学をしたいものですが、オーストラリアは物価も高く、長期間の親子留学の滞在には適していません。学費だけで、破産してしまいそうです。

しかし、小学生の子供にとって、オーストラリア、ニュージーランド、そして、カナダも自然が豊富で、良い影響がありますよね。

ヨーロッパだと少し狭く、窮屈な感覚もありますので、小学生の子供にとっては、最初は、オーストラリア、ニュージーランド、カナダで、自由にのびのびと過ごしてほしいものです。

英語圏の滞在を短期でもいいですので、うまく利用しながら、ドイツ親子留学にシフトしていくことが大事なポイントになりそうです。

欧州のドイツに来てしまうと、よほどのことがないかぎり、南半球に行くことはないですので、最初は、南半球から始める意義がありそうですね。

欧州に来てしまうと、ヨーロッパをぐるぐるまわるという習慣になってしまうからです。

オーストラリア親子留学のために役立つ情報

 

オーストラリア親子留学のために役立つ情報は、

オーストラリア観光ビザETAS申請のサイト

オーストラリア移民局のウェブサイト

オーストラリアの学校リスト

オーストラリアの家探しのサイト

親子留学の費用と効果の考察 オーストラリア親子留学の例とドイツ親子留学は学費が無料

2016年5月27日

 

オーストラリアの国というのは・・

 

周りは荒い海であったために、16世紀頃の世界地図にTerra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ、「南方にある未知の大地」という意味)と表されていた。

1606年に当大陸に最初に到来した白人オランダ人のWillem Janzであった。だが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺のみしか探索しなかったため、植民地には向かないと判断し、オランダ人は入植しなかった。1770年スコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーボタニー湾に上陸して領有を宣言し、入植が始まった。東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。アメリカの独立により、1788年からアメリカに代わり流罪植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団1030人のうち、736人が囚人 (男586人・女242人という説あり) で、その他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でも当地に流刑されたという。1791年の第2回囚人護送は1017人で、航海中に281人が死んだが、植民地での食糧難を加速させたため、政府は1年を待たずして自由移民を募り農地を拡大させた。

1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。内陸を探検し、農牧地を開拓した。その段階で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐、殺害した。1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられた(ブラック・ウォー[要出典]19世紀の初めにはスペイン産メリノ種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展した。なお、羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかった頃、肉類の中で羊肉が長持ちしたためである。1850年代ゴールドラッシュが発生すると中国系の金鉱移民に対する排斥運動が起こり、後の白豪主義につながった。

出典 ウィキペディア オーストラリア

 

上記のウィキペディアにも書いてあるように、はじめは、アメリカが欧州の流刑地である、それから、オーストラリアが流刑地になったのですね。

欧州の人たちは、自由の国といっても、アメリカもオーストラリアも先祖は、流刑地に流された人であるといっていましたね。そして、アボリジニなどの先住民から土地を奪ったのですね。

そう考えてみると、悪い人たちの土地に、日本人は高いお金を支払って、たかが、英語のために、留学しようとしているのかも・・ですね!

 

ABOUTこの記事をかいた人

ドイツのベルリンよりライブ情報を発信しています。 オーストラリアに3年間の親子留学ののちに ドイツベルリンに教育移住。 ドイツや英語圏への親子留学のサポート をしております。また、お母さんの在り方としての 母親学についても発信中。