東西ドイツを統一した、ドイツのヘルムート・コール元首相が天国へ旅立つ。
ドイツのコール元首相が天国へ旅立つ・・・こちらのニュースが飛び込んできましたので、1987年から1988年ごろを思い出しました・・。
確か、1987年か、1988年だったと思います。当時の西ドイツのコール首相が、私の大学に来られて、来日講演会があったのです。
もちろん、当時は、ドイツ語学科の生徒でしたので、みんなで講演会の前の方に座りましたね・・
近くでコール首相を拝見して、身体の大きい優しそうな方でした。目はかなり厳しそうな方でしたが・・
生徒の1人が、コール首相に当時、質問していました。
「日本でおいしかった食べ物は何ですか?」
コール首相は答えました。
「神戸ビーフです」
お寿司とか、てんぶら・・じゃないんだ・・神戸牛か・・ドイツでも肉なんかどこでもあるのに・・
松坂牛じゃないんだ・・とかね・・なんて思っていましたけれどね・・
(ドイツ領事館が神戸にあるからでしょうね・・)
ご冥福をお祈りいたします。
1988年当時の思い出
その当時の西ドイツの問題は、トルコ人労働者の問題や環境問題・酸性雨の問題でした。
当時のトルコ人労働者の問題を書いた「Unter Ganzan」 という本がよく読まれていた時代です。(日本語に訳すと、最底辺・・・でしょうか・・)
当時は、まさか、東西ドイツが統一するとは・・思ってもいませんでした。
インターネットのない時代。情報入手も非常に限られていました。
ドイツ語は国連での公用語でもないし、将来的に本当に必要なのか?とも疑っていて、1986年の旧ソ連の問題などもあり、欧州は少し暗い時代でもありました。
ポーランドの学生、ハンガリーの学生のクラスメートのイメージが非常に暗かったのが印象に残っています。
スイス(フランス系スイス、イタリア系スイス)の学生は非常に豊かな感じでした。
当時、仲良くしていたのが、もう今はない、ユーゴスラビアからの女子学生です。連絡はとぎれてしまいましたが、今はどうしているのでしょうか・・・
1988年に、春休みを利用して、ドイツのケルンに3か月滞在してドイツ語の語学学校に通っていたのです。
その時ですね・・ケルンから、当時の東ドイツの専用道路を通って、東西ベルリンまでバスで行き、ベルリンの壁と東ベルリンの1日観光をしたのは・・
あの時に宿泊したホテルはクーダム通りでしたが、現在とまるで、印象が違うという・・
カイザーウィルヘルム教会のてっぺんも、第2次世界大戦の爆撃を受けて、当時そのまま、壊れたままの状態でした。歴史の記憶をとどめておくため・・とも言われていました。
その後、大学4年生時には、就職のためにもよいかと思い、NHKのドイツ語講座でのアルバイトをしました。アシスタントディレクター(AD)のお仕事でした。
週に1回でしたが、テレビ番組制作の現場のお手伝いができたのは、大学生としては貴重な体験でしたね・・テレビ局ですので、芸能人の方やよくテレビで見るアナウンサーの方をたくさん近くで拝見することが出来ました。
テロップの修正やその他、雑用などがお仕事でした。ドイツ語を指す、私の手だけがテレビに映っていたという・・
その後、時代の流れに乗って、バブル時代でしたので、大企業に就職して、当時女性を活用するということで、女性も海外駐在ということで、デユッセルドルフ駐在のチャンスもありましたが、
あえて、選択しなかったんですね・・当時、両親が滞在していたインドネシアのジャカルタに行く決断をしたのです。家族が一緒に住むという方を選ぶことが大切だと思っていたからです。
30歳で結婚する前に、家族でもう一度一緒に住むという決断をしていたからこそ、今、ドイツのベルリンに後悔することもなく、後ろ髪を引かれることもなく、滞在できているのかもしれません。
東西ドイツ統一以前あたりの1986年ころから10年、20年、30年経ちましたが、今までは、いろいろな意味でドイツも危ない時代だったと思います。
やっと30年が過ぎて、ドイツも良い時代を迎えていると思います。
だからこそ、やっと、ドイツ・ベルリンに滞在しているのかもしれません。ドイツ語は、30年間、放置してしまったのですが・・
語学は、手段でしかない・・それより、「時代を読む」ことの方が大切なのです。
残念ながら、ベルリンの不動産の価格は、ドイツのマルク時代から、4倍もの値上がりをしているということを最近、近所の不動産屋で聞きました。
この15年の間で、不動産価格は、2倍になっているそうです。
現在、日本円で2500万円くらいのアパートメントの物件は、ドイツのマルクの時代は500~600万の物件だったという・・(ベルリンですが・・)
15年前には、1000万ちょっとの物件だったのですね・・
東京から比較すると、まだベルリンの物件も安いですが、 だいたい仙台あたりの相場と同じくらいでしょうか・・
できません・・と言われても信じてはいけない・・というお話
プロフィールのところにも書いてありますが、私は高校の教員免許をもっています。英語とドイツ語でもっています。
ここで、あれ? 中学はないのですか? と思われた方もいらっしゃるかと思います。
教員免許を取る際に実体験から学んだ、できません・・を信じてはいけない!のお話をしますね。
私はドイツ語学科ですので、英語の教員資格は取れません・・と最初に学事部から言われました。
多くの方が、英語の先生の資格が取れないんだ・・とがっかりしていました。私も女性ですし、いずれ子育ての間などに、英語の講師などをするチャンスもあるだろうし、英語の教員免許が取れないなんて・・意味がないな・・・と思っていました。
私は取れません・・と言われても、取れるんじゃない??と考える人なので、大学の授業スケージュールに、英語の免許の科目をちょこちょこと入れていました。もしかしてできるかも・・・と。
クラスメートの多くは、大変だし、取れないと言われているから・・と諦めていました。
しかし、私はなんとなく、取れるんじゃないかな・・と予感がありました。
主要科目が混んでいる中で、パズルをはめこむように、しょっちゅう、英語の教員資格の科目を入れたり、出したりして、大学の3年、4年の最高取得単位まで、入れていきました・・。
すると、なんと・・・すべてが入るじゃないですか!!
ただ、1つだけ、中学の教員免許のための道徳の1単位だけが入らなかったのです!
しかし、高校教員のための授業はすべて、英語もドイツ語も入ったのです・・。
中学はなくてもいいですよね・・。高校の免許さえあればいいと思いました。
ということで、私は高校の教員免許の英語とドイツ語をもっているのです。
ここでわかったこと、誰かが、できないわよ・・といっても、信じてはいけないのです。
自分がしたいな・・と想ったことは、必ずできるのです。
大学時代、NHKで働いてみたいな・・と思っていたら、先輩がドイツ語テレビ講座に出演していたので、こんにちは・・・いつも見ています・・と声をかけたところ、アルバイトを募集しているわよ・・ということになり、NHKドイツ語講座でアルバイトができるようになったり・・
オーストラリアのケアンズ時代に、青い蝶を見てみたいな・・コバルトブルーの蝶でユリシスといい、見た人は幸せになれると言われているので、特別な場所に行かないと見れないのかな・・と思っていると、
なんと、子供を迎えに行く時間帯、14時ごろに、車で家を出発してすぐあたりに、2羽のコバルトブルーの蝶が飛んでいるではないですか・・(家は、奥まった閑静な素敵な場所だったから・・だと思いますが・・)
それも、次の日も、少したってまた・・・合計で5、6回くらい遭遇しました。14時ごろは遊んでいる時間帯だったのでしょうか・・
このようなことがよくあるのです。ドイツに来てからも、こんなことがたくさんあります。
いつも前向きに、こんなことがしてみたいな・・と謙虚に真摯に想っていると、良いことが舞い降りて来ますよ・・と確信しています。
多くの方が、このような想いをもって、楽しい毎日を過ごしてほしいと思っています。