ドイツ教育移住と日本の受験
日本の受験、中学受験、高校受験、大学受験とありますが、私の経験から言うと、経験する必要のないものだと感じています。
また、世界を見回してみると、受験がある国はほとんどありません。教育が競争になっている、中国や韓国、シンガポールでさえも、大学受験のみになっています。
そのことから考えてみると、中学受験と高校受験は、必要ないことがわかります。
自分の経験、いろいろな人たちを見てきたことから総合すると、受験をすることで、自己否定をする、自分を卑下する癖がついてしまいます。
また、自分の実力を点数や偏差値で測ってしまい、物の考え方が狭くなります。つまり、簡単にいうと、受験は、人生を楽しくさせません。寧ろ、人生をつまらないものにしていきます。
他人の揚げ足をとったり、人を小バカにしたりという、悪い癖も身に付きます。ほとんどの人が、相対的に物を見るようになり、自分より上か下かどうかが気になるわけです。なぜなら、そうしないと、自分のバランスを保つことができないからです。ですので、どう考えても、受験が子供にとって、良い効果があるとは思えないのです。
12歳以下の子供に対する、中学受験の影響
これは、自分の経験からお話します。個人的な意見ですので、参考くらいにしてくださると助かります。
1977年、当時まだ、中学受験がメジャーではないころ、中学受験をしました。クラスでも1人~2人くらいしか、中学受験をする人はいませんでした。
当時の四谷大塚は、日曜教室のみで、毎週テストでした。予習シリーズを自分で勉強していく、または、平日は、個人的な塾なども併用していくのが主流でした。
自分で予習シリーズを勉強するのですから、かなりいい加減で、たいして勉強もしませんでしたが、算数だけは、特に力をいれていました。
算数だけでも、高得点を取るためには、かなり集中しなければいけませんでした。
結局、御三家には合格できず、滑り止めの女子校に合格するのですが、3月の小学校卒業式の前くらいでしょうか・・・
図工の時間に春の絵を描く課題がありました。今でも不思議なのですが、春の色が作ることが出来なかったのです。
普段は、ピンク、黄色、黄緑、水色と、春らしい色を絵具で作ることができるのですが、
この時は、どうしても、暗い色を混ぜてしまう自分がいました。12歳当時の自分も、あれ?と思いながら、混ぜることができないと変な妙な感覚でした。
この時の感覚は、今でもよく憶えています。
これは、12歳の子供が、本当にわからないくらい、心に微妙な圧迫感を感じていたのだと・・今になって思うのです。
絵は、子供の心を表現するとは、このようなことを意味するのだとわかったのは、成人してからです。
これは、この図工の時間だけで、他には、何も影響がありませんでしたので、親も知りません。言うほどでもありませんでしたし、ただ、私がその時の感覚を今でも憶えているくらいです。
かなり、いい加減な中学受験をした、私でさえ、こうなのですから・・・
大学受験が将来のやりたいことに及ぼす影響
引き続き、経験からお話しますが、中高一貫校でしたので、私の場合は、高校受験がありませんでしたが、大学受験はしなければいけませんでした。
やはり、流れに乗って、大学受験のために、バブル時代や80年代の音楽に翻弄されながらも、塾に通ったり、皆がしているのと同じように、大学受験を目指していきました。
これが、正しいか間違っているかなどは、考える余裕もありません。これで、大学受験のために進んでいかなければいけないという、選択肢しかありませんでした。
もちろん、当時は、海外の大学に進む人などは、皆無でしたし・・
大学選びも、文系ならば、経済学部、法律学部、外国語学部あたりから選択するわけです。文学部系が就職には、あまり効果的ではないということは分かっていましたが、文学部以外で、選択する学部もあまりにも少ないし、
まず、根本的に、何をやりたいか?なども考える余裕がないわけです。
オーストラリアでもドイツでも高校1年生くらいには、職業経験などを体験しますが、日本ではそのようなものもありませんでした。
ほとんどの生徒が、なんとか、大学に入学すれは、どうにかなる・・と思って大学受験に臨むのではないでしょうか・・
しかし、実際問題、大学受験をして、大学に入学しても、就職するまでの4年間で、自分のしたいことがわかる・・・というまでには至りません・・というのが、実状ではないかと思います。
大学時代に、自分のやりたい職業が見つかる方は、幸運だと思いますね・・
つまり、大学受験にとらわれる時間の間の高校時代から、自分の適性を理解しながら、本当に自分のやりたい職業、目指すことを考える時間が必要なのです。
大学受験に没頭していては、まず、結果を出そうとするあまりに、自分の本来の気持ちを隠してしまいがちなのです。
その結果、自分のやりたいことがわからなくなるという、スパイラルにみんながはまっている状態が、日本の大学受験制度の弊害ではないでしょうか・・・
大企業に就職、官僚の試験に合格、医学部で医師免許を目指している方も、本当に自分のやりたいことをわかってしている方は、少数派で、ほとんどが、長いものに巻かれろ的な方法で、進んでいることは、実際にこの目で見てきました。
息子は、はっきり言います。人生は楽しむものであると・・・
以上のような、中学受験と大学受験を経験してきて、あまりにも、時間と費用のムダであり、人生に良い影響を与えないと確信していますので、息子には、受験を経験させないようにしてきました。
ですので、10歳から海外の学校に通学しているわけですが、
現在、息子の母校の同級生は、みなさん、中学3年生で高校受験を目指しています。
同級生は、いまごろ、学校を下校してから、塾に通学して、深夜に就寝するという生活をみんな過ごしていると考えると、息子は、信じられないと言います。
学校に通学して、授業を受けながら、自分の人生を楽しみながら、将来を考えて、目指していくべきだと言っています。
将来的に必要なのは、就職するための学位とやる気です。自分の目指す職業への思いです。
しかし、日本では、実力や学力というまやかしの言葉のもとに、競争を激化させて、受験に多くの付加価値をつけて、いかにも正しいことをしているような風にしているようにしか思えないのです。(個人的な感想です)
例えば、英語についても、英語の4技能などを作り、新たな付加価値を作り上げています。英語の4技能もへったくれもありません。英語は英語で教えればいいだけなのに、なんで、日本語で教えるのでしょうか?
ハッキリ言えば、4技能などにこだわるより、薄っぺらい、語彙も貧相、絵本よりも幼稚な英語の教科書をどうにかしてほしいものです。英語の語学学校で使用する英語のテキストをさっさと使用すればよいのではないでしょうか・・・
ドイツの英語の教科書は、英語の語学学校のようなものを使用しています。
そんなわけで、日本の受験に対して、イラッ!としたならば、方向転換してもいいのではないかと思っています。
日本に居るときは、変に思いませんが、一歩海外に出てみると、異常さに愕然とします。受験に多くの時間とお金を奪われているのは、世界でも日本だけになります。
受験のようなどんぐりの背比べ的なラット競争や偏差値に巻き込まれている間は、子供の本当の幸せは見えてこないでしょう。
その先に夢があるように、ゴールがあるように見せかけて、否、見せかけられていますが、そこには、夢もゴールもなく、一生、長い暗いトンネルの中を進んで行き、抜け出すことができない・・そんな風に見えてしまいます。