読書量はもちろん大事だけれど、文章を書くことの方がさらに大事であること
読書が大切です・・本を読みなさい・・と学校で言われますね。
確かに、本を読むことは大事ですが、やたらめったらに、膨大な量の本を読むのも、本屋さんを潤してあげているので、まあ、いいと思いますが・・
本当に大切なのは、文章を書くことだと思います。
生きているのは、自分の考えで、いろいろなことを決めて、選択していきますよね。自分の考え方が大事なわけです。
本を読むことで、ネタになったり、考え方を広げてくれたりします。知らなかったことも理解できるようになります。なので、本を読むことは大事ですが、
実は、重要度としては、文章を書くこと>本を読むこと だと思うのです。
本を読むというのは、誰か他人の意見を読むということ、つまり、受動的である。
文章を書くというのは、自分の意見を書くということ、つまり、こちらの方が、能動的であり、主体的なわけです。
ですので、文章を書くことが第一で、サブとして、参考として、知識を広げるために、違った意見を知るために、本を読むという構図がいいわけです。
なのに、子供の教育を垣間見てみると・・・小学校から、国語では、読解問題があり、他人の文章を読むことばかりに、時間が取られていませんか?
小中学生は、国語の読解問題より、小論文を書いたほうがいい!
小中学生の国語の問題で、漢字は覚えなければいけないのでいいのですが、読解問題がありますよね・・
これ・・が指しているものを書きなさい・・
文章の主旨で、次のうちで、あてはまらないものを選びなさい・・
あてはまるもの・・とか・・あてはまらない・・とか・・トリッキーでややこしい!ですよね。
こんなことばかりに時間を費やしていると、セコ~イ人間になりそうです。注意深さが身に着くと思いますが、このような受験訓練、テクニックは、最後の最後に少しするだけでいいでしょう。
それより、小学校高学年から、序論、本論、結論で簡単な小論文が書けるようにしておくのが大切です。実際には、結論、理由、本論がいいらしいですけれどね・・
大人が書く文章、ブログなどは、
- へえ~
- なるほど・・・
- 納得!
これがいいらしいですけれどね・・
そのためにも、日頃から、これは、どう思う?どう考える?何が大切?というお母さんとの会話が重要になってきます。
知識を頭に詰め込むのは、頭を固くして、権威主義になるだけなのです!
小学生のうちから、日本の歴史の重要項目を暗記だけして、実は歴史の流れなどがわかっていないことは、よくあります。
私も1970年代に中学受験をしましたが、小学生で、歴史の流れは、よほど興味がない限り、頭にはいらないですね・・
息子にも、小学生の時に、歴史の流れをおおまかに教えましたが、興味がないせいか、全然理解しませんでした・・
小学生で、歴史といっても、織田信長、本能寺の変、徳川家康、関ヶ原の戦い・・などの重要事項をせいぜい、覚えるくらいでしょう。
固有名詞や、重要事項を覚えることは、頭を固くして、権威主義になるだけなのです。
テレビのクイズ番組で、歴史などを答える問題がありますが、これも、知識偏重の学習を煽っていますよね・・
これは、こうだ・・ではなく、なぜなのか?これが大事なのです。
なぜ、本能寺の変が起きたのか?なぜ、関ヶ原の戦いが起きたのか?このあたりを調べることが大事なわけです。ただ、覚えるだけでは、意味がない・・
書くことで、なぜ?本当にそうなのか?を検証することにつながる
本を読むことは、人が書いたことを、ザ~~っと流して読むわけです。しかし、自分が文章を書けば、ある程度、つじつまが合っていなければいけないので、よく考えて書かなければいけないわけです。
自分で文章を書いてみると、実は、本当には理解していなかったことも発覚します。なんとなく、思っていただけであった・・深くは考えていなかったこともわかります。
自分の経験や実際に体験したことでないと、心から書けない、詳しく書けないからです。
自分の経験や体験を書かないならば、調べて書いたり、誰かが書いたものを参考にしなければいけないので、やたら、時間もかかります。
ですので、文章を書くことが楽しみであることは、自分の経験や体験に即してかいているからであり、自分の体験から、自分の考えを書くこと、まとめることであり、自分を再認識するためには、非常によいことなのです。
作家が書きあげる小説なども、だいたい自分の経験から書いている、自叙伝風が多いのも、うなづけますよね・・