これから書いていくことは、オーストラリアケアンズ時代と現在のドイツベルリンの毎日を息子の学校の生活や友人たちとの様子から、
私が見たこと、聞いたことから思ったことです。多少、個人的な意見にバイアスなどがかかっているかもしれませんが・・・
目標に向かって進んでいる日本の子供たち、今を楽しんでいる海外の子供たち
日本の小学校の教室には、今月の目標とか、今年の目標・・・などが黒板にかかれていますよね。
小さい頃から、目標をもち、そこに突き進んで行くことは、良いことだと思っています。(思わされています。)
会社でも、今月の売り上げ目標・・・などあるかと思います。
また、小学校の卒業式では、将来なりたいもの、作文でも大きくなったらなりたいものを書かせる、宣言させるような場面も多いわけです。
卒業文集なども普通にありますよね・・
ウチの息子は、3~4歳のときに、大きくなったら何になりたいですか?と聞かれて、サッカーボールです!と答えたので、びっくり仰天。
人間を飛び越えて、ボールという物質になりたいと言ってしまったウチの息子・・・
これは、さておいて、
日本の子供たちには、目標とか、何かを目指すとか、偉大なものにあこがれるような雰囲気が蔓延している感じがします。
例えば、オーストラリアで、昔、有名だったイタリア代表のサッカー選手がいるとなったら、ものすごく大騒ぎしているのが、特に日本人。それに輪をかけて、日本人のお父さんたちが大騒ぎ。サインだの、一緒に写真だの・・
しかし、オーストラリア人たちは、別に、へ~・・という感じでした。我が家の主人にもスカイプで伝えると、それはスゴイ!とか、言っていましたし・・
日本の巨人軍の優勝パレードなんかは、もっとひどくて、ある日本の若い女性が、幼稚園生のウチの息子を吹っ飛ばして、前へ出て、サカモト~~!とか、言ってましたし・・
東京ドームで野球のボールが飛んできて、息子が取ろうとしたボールをいい大人が、ひったくるように取りましたし・・
しかし、アメリカのシアトル、セーフィコフィールドでは、ある大人の方が取ったボールを息子はもらいましたし・・
(これが普通だと思うんですよね・・野球が好きな子供はボールが欲しいもので、大人は、子供にあげるのが普通の感覚だと・・しかし、日本では、有名な人が触ったボールだと大切にして、飾ったりするなどのコレクターもいるようで・・)
なぜか、日本の大人の方の幼児性というか、欲というのか、大きなものにすがりたい・・という現象なのか・・
何か、有名なもの、人、それをすごく崇め奉るところがありませんか?
また、子どもたちは、将来は、~になりたい!など、宣言してしまい、かなり、ストレスフルな感じというか、普通であることがいいのに、何か普通だとよくないような雰囲気もあり・・
これは、本当に子供自身が心から思っているのでしょうか??
親御さんが、そういっているから、子供が同じように、言っているのではないのでしょうか・・と想うこともしばしば・・
つまり、親が子供に何かを目指して進めと・・強制しているのではないでしょうか・・ちゃんとやらないのなら、意味がないとか、やめろとか・・言っていないでしょうか・・(日本のお父さんの発言にありがちです・・)
テレビなどでは、天才な子供、IQの高い子供、何かに向かって頑張っている子供を映し出す映像もよくあるわけです。最近では、有名な子役が有名中学に合格とかで・・・
このような子供が将来、幸せになるのでしょうか??
息子に聞いてみました。
「オーストラリアの友達とか、ドイツの友達とかで、将来~~を目指すとか言っている人いる?」と・・
「そんなのいないよ・・・」
みんな、毎日を楽しく過ごしているだけだそうです・・が・・
目標に向かって進むことは、本当に良いことなのでしょうか?
日本で生活していたときは、あたりまえのように、目標に向かって進むことは、素晴らしいことだと思っていました。
しかし、オーストラリア生活、ドイツ生活をしていくうちに、海外の子供たちの様子を見ていくと、日本の子供たちとは、少し違うことに気が付きました。
オーストラリアの子供も、ドイツの子供も、特に、目標などは持たずに、今を大切に楽しく過ごしているだけです。
学校でも、目標に向かって進め・・なども言いませんしね・・
小学生、中学生、高校生時代は、自分の将来のだいたいのアウトラインを描く時代だと思うのです。
大学生になり、20歳過ぎてからが勝負で、大学を卒業してからが、生活の糧のために、仕事を得る時代なのではないでしょうか・・
ドイツと違い、オーストラリアは、18歳から自立しなければいけないらしく、高校生時代からアルバイト三昧で、自分で大学の学費を捻出するそうですよ・・オーストラリアの時給は、2500円以上ですけれどね・・
シュタイナーによると、人間は、7年ごとに成長していきます。
- 0歳から7歳までが、肉体の成長
- 7歳から14歳までが、感情の成長(エーテル体)芸術に触れて、世界は美しいと感じる時期
- 14歳から21歳までが、自我の成長(アストアラル体)抽象的な概念や思考力、判断力の成長
- 21歳から28歳までが、精神の成長(メンタル体)
感情、自我、精神までの完璧な人間になるまで、28歳までかかるのです。
それなのに、小さいときから、目標を掲げ、わき目もふらずに、ゴールを目指していくと、いずれ、燃え尽き症候群、やる気がなくなる・・といいうことで、28歳以前に終わってしまいそうですよね・・
医者になる・・サッカー選手になる・・ノーベル賞をめざす・・など
よくありがちな、日本での言葉です。学校の先生方も、こういう表現をよく使っていて、それをよしとする風潮もあります。
確かに、早期教育しないと実現できないこともあるわけです。
プロのピアニストになるには、3歳からピアノをはじめるとか・・プロのテニス選手になるには、10歳以前にテニスをはじめなければ・・など。
高い志をもって、目標に向かっていくのは、悪いことではありませんが、現実はそう甘くなく、実現できる人は、ほとんどいません。
だから、ほとんどの人が挫折とか、夢が叶わなかった・・・となるわけです。
普通であればいいのに、なぜ、高い目標や夢を実現したいのでしょうか・・・
なぜ、宝くじにあたるような確率の低いそして高すぎる目標を掲げるのでしょうか??
というか、高い目標を掲げすぎなわけです。そして、高い地位、プロになるとか、賞をもらうという、結果ばかりを追い求めているわけです。
本音の心には、高い地位につきたい、お金を稼ぎたい、有名になりたいという欲望がひそんでいます。
日本の言葉には、錦を飾る・・一旗揚げる・・など、なにか。。成功しなければいけないという・・強制感も漂っています。。
ここには、アメリカンドリームに似たような、間違った価値観を植え付けられていることも垣間見ることができます。成功がすべてだという・・
普通にして、生活していけるようになる・・これだけでいいのに、なぜ、普通が大切であるという価値観が軽視されるのでしょうか・・・
普通である人が一番幸せである。好きなことを職業にして、生活していければよいのです!
高い地位についた人、有名になった人、お金をたくさん稼いだ人・・で本当に幸せな人はいないそうです。
ごく普通で、平凡な人が一番幸せである・・という現実。
豪邸に住んでいても、高級車に乗っていても、ヨットクルーズを週末していても、高い装飾品やブランド品を身につけていても・・・
そのような方々が、5つ星ホテルの高級レストランなどで高級ワインであるブルゴーニュ地方のロマネコンティやボルドー地方のシャトー・ムートン・ロートシルト、または、ペトリュスやドンペリニヨンを片手に優雅さをアピールしていたとしても、
内面的には、ちっとも幸せでない場合が多いのは、なぜなのでしょうか?
なぜなら、人間の本当の幸せは、内面、自分の内側が決めるからなのです。
たぶん、想像するに、高い地位や財産をもつようになると、周辺には、欲望の塊のような人しか寄ってこないからでしょうね・・
欲望の塊のような人がいつも連絡などしてきたら、ざわざわ、ガサガサ、毎日がたしかに不幸ですよね・・そんな縁は断ち切らないと・・
類は友を呼ぶ・・・ですからね・・
ということで、私は、常々、普通であること・・が大切だと思っているのです。
欲望の塊のような人が、近寄ってこないように、自分がまず、欲望にまどわされないようにしたいと思っているのです。
そして、これは、子供に伝授したい大事な項目だと考えています。