ドイツ人の主食、じゃがいもを広めたのは、フリードリヒ2世
ドイツの国民食といえば、じゃがいもです。ドイツ人は、野菜や肉に添えて、じゃがいもを毎日よく食べます。スーパーマーケットでもじゃがいもは大きな袋で売っています。
ドイツ留学する方などは、最初は、ドイツ料理で毎日出てくるじゃがいも、美味しく感じられますが、少し経つと、じゃがいもは、もう見たくない!と思われる方も多いのではないでしょうか。
ドイツ料理のじゃがいもより、イタリア、スペイン料理の方が飽きないと言う方もたくさんおられます。1988年ドイツに短期間ホームステイしたとき、同じ家のスイス人や当時のユーゴスラビア人とともに、みんなで、ドイツ料理は飽きたので、スペイン料理にこっそり出かけていました・・こんなことを思い出します。
じゃがいもは、嫌われものなのか、本当に栄養的にもいいのか?どうなのでしょうか・・・
このじゃがいもをドイツに広めたのが、プロイセン王国のフリードリヒ2世(1712~1786)です。
じゃがいもは、当時見かけも悪く人気もありませんでしたが、寒冷地でも育つジャガイモ栽培をひろめて、ドイツの国民食に定着させたのです。
サンスーシー宮殿の庭の脇にある、フリードリヒ2世のお墓には、じゃがいもが供えられていました。
ポツダムのサンスーシー宮殿
プロイセン王国のフリードリヒ2世が、ベルリンの喧騒を離れて、夏をゆったり過ごしたのが、ポツダムにあるサンスーシー宮殿です。こちらは、世界文化遺産にも登録されています。
ポツダムは、ベルリンから、南西部に向かって、電車で1時間弱くらいで到着します。ベルリン中央駅から、電車SバーンのS1かS7を利用します。
フリードリヒ2世がベルリンからポツダムに移り住んだ理由もよくわかります。ベルリンから南西部に行くほど、緑や湖が広がり、雰囲気がゆったりしてきます。
サンスーシー宮殿のサンスーシーとは、フランス語で、“憂いなし”と言う意味です。この宮殿は、ドイツのロココ建築の傑作ですが、当時にしては、平屋建てで、ベルサイユ宮殿と比べると簡素な造りになっています。
ベルリン西部にあるシャルロッテンブルグ宮殿も、ドイツのロココ建築です。
フリードリヒ2世は、芸術や音楽、特にフルートを愛し、哲学にも興味をもっていました。また、美食家でもあり、1日に何皿もの食事をしたといいます。
当時は、フランスなどもそうですが、生活も豪華絢爛を競う雰囲気もあったでしょうから、美食に流されてしまったのでしょう。晩年は、身体の痛みに苦しんだということで、美食はいけないことがわかりますね。
プロイセン王国って、何でしょうか?
じゃがいもをドイツに広めて、ポツダムのサンスーシー宮殿で過ごしていたのが、フリードリヒ2世です。
フリードリヒ2世は、プロイセン王国の大王ですが、プロイセン王国とは、何でしょうか? 世界史の勉強で、少し聞いたことがある方が多いかと思います。
プロイセンとは、バルト海沿岸の地域をドイツ語でプロイセンと呼びます。また、由来は、バルト海あたりの先住民が、プルーセン人と呼ばれていたことからになります。
プロイセン王国とは、ドイツ北部からポーランドにかけての地域のことで、ビスマルクによる1871年のドイツ統一の後もドイツ帝国の中心としてプロイセンが続いていきます。
プロイセンの中心は、ベルリンでした。その他の地方の州もいろいろありました。
現在でもそうですが、ドイツは、学校なども、各州ごとで管轄があり、地方色が強くなります。同じドイツといっても、ベルリンとミュンヘンでは、学校制度も、雰囲気もまるで違うのです。
このように、昔からドイツ統一といっても、ドイツは、1つではなく、地方ごとに特色があり、それぞれに管轄があり、独自な政策が取られていて、ドイツは連邦制なのですね。だから、ドイツの正式国名は、ドイツ連邦共和国です。
[kanren postid="966"]