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親子留学 ドイツ

オランダ移住からドイツ・ベルリン親子移住に来られた方とお会いしました!

昨日は、オランダ移住から、ドイツ親子移住に変更されたクライアントさま(Hさま)と、スムージー屋さんでお会いしました!

Hさまは、オランダから何度も、ベルリンに下見にいらしていますので、今までも何回かお会いしています。

今回、ベルリンに正式に移住されました。オランダから車でベルリンにいらしたんですよ・・。スゴイですよね~。

また、Hさまは、娘さまお二人と、最初は、ニュージーランド親子留学されて、次は、オランダ移住されて、そして、ドイツ・ベルリン親子移住を決定されたのです!

娘さまに一番最初に聞いてみました。オランダからドイツに来て、どうですか?

まだ、ドイツ・ベルリンに到着されて、1週間も経っていないそうですが、娘さまにオランダからドイツに来て、どうですか?と聞いてみました。すると、

「オランダより、ベルリンの方が食べ物がおいしいです!」と、答えられました。

そうなんですね・・。12歳くらいの娘さまが、感じたことですので・・やはり、そうなんだ・・と思いました。

ベルリンは、トルコ人や移民が多く、食に関しても、トルコ料理の影響を受けた、ケバブサンドイッチなども屋台でたくさん売られていますし、レバノンなどの中東の料理店もたくさんあります。

また、タイ料理店、ベトナム料理店などもものすごく多いのです。ベトナム料理は、食文化が豊かで、非常に美味しいですね。

ベトナム料理の名前は、フォーだの、ボーだの、ガーだの・・よくわからないですが、米粉を使用したり、コリアンダーを中心にして、野菜が豊富で、ライムジュースとミントのジュースがあったりして・・すごく満喫できるのです。

なぜ、ベルリンにベトナム料理店が多いのか? それは、ベルリンが東西に分断されていたころ、東ベルリンとベトナムは社会主義同志のため、交流があったからです。ですので、多くのベトナム人が住んでいます。

ベトナム人のドイツ人から見た評価は非常に高く、みなさん、ベトナム人は真面目だ・・・と言っているのです。お花屋さんなども、みんなベトナム人です。中国人と顔が似ていますので、わかりにくいですけれどね。

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お母さまに聞いてみました。なぜ、親子留学をされたのですか?そして、親子留学を決心する秘訣は?

Hさまは、最初にニュージーランド親子留学をされて、オランダ移住をされて、そして、ベルリンにいらっしゃいました。

なぜ、親子留学をされたのか?聞いたみたところ、やはり、若いころから、海外に出たいという希望をずっと持っていたそうで、子供が少し大きくなったことと、やはり、日本があやしい・・と思ったことも少しあるし・・という・・(みなさん、やはりだいたい同じ意見ですね・・)

永住権が取れると思って、ニュージーランド親子留学をしたけれど、今、現在、ニュージーランドでの永住権はほとんどムリになってしまいましたし・・

娘さまの将来のために、欧州を狙っていこうと、その当時人気上昇していた、オランダ移住をされたのですが、オランダは白人社会で、少し窮屈だったそうです。

オランダはイギリスの影響もありますので、少し窮屈なところもあるかもしれないですね。都市によっても違うと思います。

Hさまにとっては、ベルリンの街は、移民も多く、いろいろな人種が混在していること、東西冷戦の象徴だった、ベルリンの街にワクワクするそうです。(私の考えと同じなので、ビックリしました。同世代だからでしょうか・・)東欧の国やクロアチア・・などにも興味深々と仰られました。

親子留学を決心する秘訣を聞いたところ、やはり、最大のポイント、一番の壁は、日本を出国すること・・だそうです。

子供を連れて、親子で留学することに対して、ご主人、ご両親、義理のご両親が、なぜ、そこまでして、海外に行く必要があるのか??という、強制的な文言を投げかけられることなのです。

そして、日本さえ、出国してしまえば、ニュージーランドでも、オランダでも、ドイツでも、自由に動くことができる・・と仰られました。

確かにそうです。私も日本の成田空港、関西空港、中部国際空港から出国してしまえば・・・本当に、世界を動き回ることは、簡単だと感じます。

なぜ、日本出国の壁が高いのでしょう・・??

これは、日本人のいままで、当たり前だと思ってきマインド、つまり、伝統を大事にしなくてはいけない・・思い出を大事にとっておかなくてはいけない、親孝行をしなければいけない・・日本語がまず大事である・・日本の学校教育を受けなければいけない・・・

そのような、固定観念にしばられていること・・・そしてそれが、いまだに正しいと思っていることが、行動を制限してしまっています。

Hさまも、すべてモノなども処分されて、家なども売却されて、ご主人さまからのサポートや良好な関係を維持されて、世界を周られてきたのです。

ニュージーランドでもオランダのインターでも、娘さまたちの学費がかかったそうですので、ベルリン移住をされて、今後、娘さまたちの学費が無料になりますので、ご主人さまの負担もなくなり、ほっとされている・・と仰られました。(我が家と、本当に・・・同じです・・)

娘さまたちは、ドイツベルリンで自分の好きな道を歩んでいく、お母さまも、大好きなベルリンを満喫されていきます

Hさまは、ドイツのベルリンが大好きだそうです。学生時代から、ベルリンが好きだったそうです。そして、今、ベルリンにいるんだ・・・と感慨深そうでした。

ベルリンの昔は、こんなに暗かったですけれどね・・。絵葉書を写真に撮りましたが・・。

冷戦時代のブランデンブルグ門。こちらは、東ベルリンにあったのです。

昔のカイザーウィルヘルム教会

戦後でしょうか・・。ベルリンで一番美しいと言われているジャンダルメン広場。フランス教会が燃えています・・。

1989年11月。ベルリンの壁の崩壊直後

昔のフリードリッヒシュトラーセ駅。汽車が走っている・・。

確かに、写真のように昔のベルリンは、東ドイツの中に、離れ小島のように存在ししていましたので、暗かったのです。

しかし、1989年のベルリンの壁の崩壊から、激動の時代を経て、もう、30年近く経とうとしています。

どんどん、変化していくベルリンの街です。家の金額もなども15年前より、4~5倍に値上がりしているそうです。15年前だったら、500万くらいで、小さなマンションが買えたんですね・・・。もう今では、2500万以上です。

しかし、30年前のドイツは、チェルノブイリなどの影響もあり、危険でしたので、30年経った今こそ、ドイツはチャンスなのです・・・。

また、娘さまたちは、芸術方面にご関心があるようで、またまた、ベルリンにぴったりですね。欧州を制覇できますね~。

娘さまたちも、学年にこだわることなく、ドイツの学校で進んで行くことを決意されています。ドイツでは、自分のやりたいことがしっかりわかっていれば、どんなコースでもたどることができます。

日本のように良い大学に入学して、なんとか良い会社に就職すればいい・・という考えだと、ちょっと、ドイツは違うかもしれないですね・・・というより、そういう考えは、もう、日本でもどこでも、行き詰まっていくでしょうね・・。

Hさまは、帰国の際、日本で就職活動をしている若者を見て、みんな同じ色のリクルートスーツで、みんな髪を結んで・・気味が悪い・・と仰られていました。

海外に一旦、住んでしまうと、そういう感覚になります。マトリックスに出てくる、クローン人間みたいですよね。

娘さまも、日本より、海外の学校の方が楽しい・・と言っていましたし・・。

Hさまと娘さまのように、海外で希望を持って進んで行かれる方とお話しができて、とても嬉しく思います。

やはり、発想転換をして、ドイツ・ベルリンに移住してやっていこう・・と決意されることで、いろいろな世界が広がっていきます。

皆さまも、Hさまと同じように、進んで行けますので、ご連絡をお待ちしておりますね。

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  • この記事を書いた人
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添田衣織 そえだいおり

2011年からの親子留学も14年目。EU永住権も取得、子供も成人して、本格的な移住の境地になっているところです。海外移住は10年、20年と積み重ねていくものなのですね!新しい挑戦には、いつも困難がつきまといますが、それをさらに乗り越えて・・。穏やかに、そして躍動的にチャレンジしていきましょう。

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