個人の判断でブログを書いては危険なのでしょうか?個人の情報時代において、何を書くか、書かざるかを迷う方のために参考になれば・・
個人の判断でブログを書いては危険・・と書いておられる方がいらっしゃいました。
この個人情報時代に、個人の判断でブログを書いては危険であったのなら、みんなブログを自由に書くことができないと思いませんか?
何が信用できるか?それをどう思うか?は、個人の判断であり、個人の責任です。
今の時代、大手、有名だからといって、信用できるともいえないし、権威があるからといって、信用できるともいえないし、だからといって、一般の個人が信用できないともいえない。むしろ、小さな声にこそに、真実があるかもしれない・・というそんな時代。
私は、アフター311の世界において、ツイッターでの一般の方が発信する小さな声が参考になり、いろいろなことがわかってきたという思いがあります。
権威の発表すること、メディアでも論文でも統計でもすべては、建前。本音は、個人の声を拾い集めるのがいい・・と個人的に思っています。個人の声を真に受けるのではなくて、その真意を類推する・・ことにこそ、真実が隠れていると思うのです。
ブログを書いている方は、こんなことを書いていいのかしら?と悩むこともあると思うのです。もちろん、薬事法に抵触することや悪口・誹謗中傷は書いてはいけないことになりますが、
経験談からの情報、考えることなどは、自由に書くからこそ、意義があると思うのです。
私も、ブログを書いていて、そのあたりをよく迷いますので、ネット業界のプロにきちんとした回答をいただきました。
ネット上での発言について責任を持てというコメントを目にすることがありますが、 そんなことはネットであろうがなかろうが当たり前のことです。 むしろネットの世界では、発言する側の責任だけでではなく、受け取った側は自己責任のもとで判断をするということが常識です 。 そう、それが大前提。ブログにおいても個人の判断で記事を書くのが危険なわけではありません。 人の記事を読んで自分で判断できないのが大きな問題なわけです。人が書いた情報に対して陰でこっそりコメントしたり揶揄したりする人もいるようですが、 そうしたコメントや揶揄にも責任をもって発言しているということ ですよね。 でも、まぁ、ちょっと考えてみてください。誰が読んでも「確からしい」ことしか言えないとしたら、みんな同じでつまらないじゃないですか。 発言に責任云々とか当たり前ですよ。個人の情報発信の時代に時代錯誤甚だしい。自分の意見を言える人なら、人のことを言うよりも、受け取る側に責任があることをもっと啓蒙していけばいいのになぁ なんて思ったり。 人間だから間違うことだってあります。いつも正しい人なんていないし、間違ったら訂正して謝ればいいじゃないですか。 ネットに関係なく、人のことを言わない、書かない、誹謗中傷しない、 面と向かって言えないことなら言わないというのは最低限のルール ですよね。 そもそも、ネットの情報なんて疑ってかかるのが常識です。だからこそ、企業も個人もいかにして信頼してもらえるかを考えるわけじゃない ですか…。 ぼくがこうして発言している内容だって、信じるかどうかは読み手次第です。 正しい思えば信じればいいし、正しくないと思えばのらなければいいだけです。 それだけ。ネットの影響力や拡散力が強くなっていく今日、絶対的に必要なのは「自分の価値観」をもつこと。 そしてその価値観に基づいて「判断をする力」 をもつということです。 端的に言えば、騙されないだけの力を持つこと。そうじゃなければ、誰かの発する情報に無抵抗に従うだけになってしまいます。 個人ではなく、企業なら正しい情報ですか?政府が発信する情報は常に国民のためのものですか?無批判に受け取るということは思考停止に他なりません。そんなのウルトラナンセンス。発信するのも受け取るのもすべて自己責任。ブログは自分の責任のもとで発信すればいいんですよ。ノープロブレムです。